![]() |
日吉神社といえば、神のお使いは「猿」であり、新日吉辞宮の本殿前に二体の「神猿」が安置されている。御神猿の霊験は、 |
『太古に京都、滋賀地方を開発された日吉大神は、千年の皇都の鬼門を御守護になった霊神で、昔から朝野の信仰は真に顕著でありました。 |
当神宮本殿の前に安置する御猿は大神の御使者で、信者の災禍を去るという不思議な働きをされます。 |
常に御幣を捧げて悪気を祓い、凡ての災厄を退けて、幸福を授けられます。』 |
出典:【御神猿の霊験の説明】より |
![]() |
また後白河天皇が創祀したという、菅原道真公の御霊を祀る「飛梅天満宮」がある。 |
『御祭神に、菅原道真公と菅公遺愛の飛梅之霊を祀る。永暦元年、後白河天皇により菅公之神霊天満大自在天神と菅公遺愛の飛梅之霊を祀られる。 |
飛梅之霊は、菅公が大宰府下向の際 |
「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」 |
と詠まれて別れを惜しまれた旧宅の梅が一夜の中に配所に花を咲かせたという故事による。』 |
出典:【飛梅天満宮の駒札】より |
![]() |
祭神に、国泰院殿関白大相国という名を祀る神社だが、樹下社またの名を豊国神社といい、何を隠そう、豊臣秀吉を祀る神社である。 |
『阿弥陀ケ峰なる豊国社は、元和以降頽廃したが其の後間もなくその前方に新日吉社を移転造営せられて以来、豊国廟の管理は妙法院及び新日吉社で行って来たのである。 |
爾来豊公の神霊は、内々当社の神供所で祀られていたが天明5年に至り、更に境内に社殿を造営してその御神霊を奉還し、樹下社と称せられたのがこの社殿である。 |
又、天明7年正月18日樹下社に「社頭の祝」として御法楽和歌三十七首の献納があったが、これは明治になって豊国の神が再び新日吉社に祠として奉祀せられ、千代に栄え幾万代かけて、大御代を守護せんとして詠まれている。 |
樹下社は日吉上七社の一つで往時は十禅師社とも称した。蓋し当時を憚り其の縁故ある社名を以って、祭神の姓、木下にかけたもので、 |
公の神霊も旧幕時代は僅かに此の如く苦心の中に其の祭祀を絶つことなきを得たのであるから、その祠宇は小であったとはいえ、其の議は実に大なるものがあると言うことが出来よう。』 |
出典:【樹下社(豊国神社)の駒札】より |
![]() |
本殿の東側にひっそりと生育しているのが「スタジイ」、幹周が4m以上もあり、江戸時代以前から現存していたという。 |
大きく拡がった樹冠は社殿を覆う勢いで、根が隆起した姿に畏敬の念を抱かせるという。 |
参照:【スタジイの説明板】より |
コメント