| また正林寺の辺りは小松第ともいわれ、平家の嫡男、平重盛が居を構えていた所でもある。 |
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| 平重盛は、平家の嫡男ではあるのだが、正室である時子の子ではなかったことにより、嫡男でありながら平家の一族を統率しかねた引け目があったようである。平家物語では、父である平清盛を諌める立場で、清盛を悪とみるならば、その反対に位置する人物として描かれている。 |
| 後白河法皇と父である平清盛との対立が深まった時に、その間に立って、平家物語巻五の付「烽火の事」のなかに、 |
| 『君君たらずといへども、臣以て臣たらずんばあるべからず。父父たらずといふも、子以て子たらずんばあるべからず。君の為に忠あって、父の為には考あれと・・・』 |
| と言っている。 |
| そのことをよく知られた |
| 『忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず』 |
| という有名な言葉がある。 |
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| いずれにしても嫡男でありながら、母が異なったことにより、平家の主流は時子の子である、 |
| 宗盛・知盛・重衡らによって掌握され、心労も重なり父清盛よりも先に亡くなってしまうのである。 |
| そのことで後白河法皇との対立は一層深くなり、平家滅亡への道を早めてしまうのである。 |
| 戦前の修身の教科書では、万里小路藤房、楠木正成と共に「日本三忠臣」としてその名を残している。 |
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