嵯峨嵐山では、もう一つ「源氏物語ゆかりの地」である、伊勢斎宮が潔斎のために住んだ場所という、野宮(野宮神社)である。 |
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野宮とは、天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神に仕える斎宮(皇女・女王)が、伊勢へ下向する前の約1年間、潔斎生活を送る場所。 |
「源氏物語」「賢木」で、光源氏が野宮へ六条御息所を訪ねる場面がある。 |
出典:【源氏物語ゆかりの地 GUIDE MAP】より |
(右京区嵯峨野々宮町(野宮神社境内)で、JR山陰線『嵯峨嵐山』駅より西に、徒歩10分、また嵐電『嵐山』駅から徒歩15分。 |
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野宮神社の駒札によると、 |
『伊勢の神宮に奉仕する内親王が潔斎のため居住された跡で、今三つの祠があり、中央に天照大神を祀り、左右に愛宕、松尾の神を祀っている。 |
歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮(さいぐう)といった。 |
斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で1年余り潔斎されてからこの野宮に移り、 |
3年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたが、その時の行列を斎王群行といった。 |
斎宮は垂仁天皇の時に皇女倭(やまと)姫命をして奉仕せしめられたのが始まりで、その後北朝時代(14世紀後半)に廃絶した。 |
野宮は源氏物語にも現れ、謡曲、和歌などに謡われているが、黒木の鳥居や小柴垣は昔のままの遺風を伝えるものである。』 |
出典:【野宮神社の駒札】より |
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「源氏物語ゆかりの地」説明板には、 |
『平安時代の斎宮が伊勢下向に備えて潔斎生活をした野宮の一つ。斎宮に任命されると、一年間、宮中の初斎院に入って身を清め、そのあと浄野に造られた仮宮(野宮)で一年間ほど潔斎生活をする。 |
平安時代の野宮は主として嵯峨野一帯に設けられ、建物は天皇一代ごとに作り替えた。 |
南北朝の戦乱で斎王制度は廃絶したが、神社として後世に残された野宮神社には黒木(皮のついた丸木)の鳥居と小柴垣が再現されている。 |
斎宮となった六条御息所の娘(後の秋好中宮)が一年間、野宮で潔斎生活を送り、いよいよ伊勢に下向するという直前に、光源氏が六条御息所を野宮に訪ねる場面が「源氏物語」「賢木」にみえる。 |
そこは小柴垣を外囲いにし、仮普請の板屋が建ち並んで、黒木の鳥居とある。 |
「はるけき野辺を分け入り給より、いとものあはれなり。秋の花みなおとろへつゝ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、 |
松風すごく吹きあはせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、ものの音ども絶えだえ聞こえたる、いと艶なり。(中略) |
ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、仮屋ども、あたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居ども、さすがに神ごうしう見渡されて、」 |
「源氏物語」「賢木」巻より抜粋 |
出典:【野宮(野宮神社)の説明板】より |
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