源氏物語ゆかりの地の探訪を始める前に訪ねた所に、その時には、源氏物語についての説明板だという認識もなく、

ここの説明板だろう位のことで見ていたものが何ヶ所かあり、今回からは、そこを訪ねてみようと思う。

今迄は平安京の内、しかも平安宮内裏というごく限られた狭い所廻ったのだが、ここからは平安京を離れた外に目を移すこととする。

まずは羅城門跡に。



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羅城門は平安京朱雀大路の南の端にあった、平安京の表玄関である、大規模な門である。

((南区九条通新千本東入る唐橋羅城門町、花見児童公園)にその石碑が建っており、

JR京都駅から市バス、C4乗り場から出る、「16」と「78」系統、近鉄東寺駅から「202」「208」系統に乗り、『羅城門』で下車すぐである。



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羅城門の駒札によると、

『この地は、平安京の昔、都の中央を貫通する朱雀大路(今の千本通に当たる。)と九条通との交差点に当たり、

平安京の正面として羅城門が建てられていた。門は二層からなり、瓦ぶき、屋上の棟には鴟尾が金色に輝いていた。

正面十丈六尺(約32メートル)、奥行二丈六尺(約8メートル)、内側、外四側とも五段の石段があり、その外側に石橋があった。

嘉承3年(1107)正月、山陰地方に源義親を討伐した平正盛は京中男女の盛大な歓迎の中をこの門から威風堂々と帰還しているが、この門は平安京の正面玄関であるとともに、凱旋門でもあったわけである。

しかし、平安時代の中後期、右京の衰え、社会の乱れとともにこの門も次第に荒廃し、盗賊のすみかとなり、数々の奇談を生んだ。

その話を取材した芥川龍之介の小説を映画化した「羅生門」は、この門の名を世界的に有名にしたが、今は礎石もなく、わずかに明治28年建立の標石を残すのみである。』

                         出典:【羅城門の駒札】より



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源氏物語の説明板には、

『平安京のメインストリートである朱雀大路の南端に設けられた、都の表玄関にあたる大門で、この門を境に京の内外を分けた。

弘仁7年(816)に大風により倒壊し、その後に再建されたが、天元3年(980)の暴風雨で再び倒壊した後は再建されることがなかった。

11世紀前半に藤原道長が法成寺造営のため、門の礎石を持ち帰った記述が「小右記」にあり、この頃には門の礎石や基壇のみの姿となっていたと思われる。

付近の発掘調査では、羅城門に関わる遺構は見つかっていないが、東寺の木造兜跋(きばつ)毘沙門天立像(国宝)や三彩鬼瓦(重要文化財・京都国立博物館寄託)はこの門にあったものと伝えられている。』

                         出典:【羅城門跡の説明板】より