やっとパソコンが昔の姿に戻りつつあるにおで、「京都から愛をこめて」を再開したいと思います。五番町の続きを・・・



妻取地蔵から下立売通を東に少し戻ると、引誓寺という寺院があり、その門前に「木村長門守重成公旧舘地」の石碑が建つ。



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クリックで大きくなります この引誓寺の立つ辺りが、秀吉が聚楽第を築いた折の、木村重成の屋敷があった所である。木村重成は、豊臣秀頼の乳母の子であり、秀頼の唯一の幼馴染だったのである。そのことから豊臣家とは切っても切れない縁を持ち、関が原の戦ではまだ初陣は出来なかったのだが、大阪冬の陣では、後藤又兵衛基次とともに活躍をし、一躍その名を轟かせる。

その和議には、豊臣の正史として徳川との交渉にあたり、その立ち居振る舞いは見事と賞賛される。

しかし、大阪夏の陣では、長宗我部盛親と共に、八尾・若江に出陣し藤堂の兵を蹴散らすのだが、兵は疲弊し家臣の諌めも聞かず、赤備の井伊の兵と乱戦となり、23才という若さで落命するのである。

豊臣の先行きを見通して、この戦でと覚悟をきめ無理な戦に挑んだようである。

豊臣に最後まで尽くした木村重成の屋敷があったのがこの辺りである、