松尾大社から南に5分ほど歩き「押見宿祢霊社遺跡」の石碑を見ると、その先に、月読神社の鳥居が見える。



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月読神社は、その名の通り、祭神に「月読命」を祀り、京都でも屈指の古社であり、境内は、訪れる人も少なく閑散とし、古雅な趣きを漂わせている。



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この月読神社に向おうとしている時に、携帯電話が鳴った。古い飲み友達からで、今度飲み会をやるということであった。

一も二もなくOKの返事をした時に、またも雪がポツリポツリと落ち始めた。

飲み会は、JR奈良駅の近くの鮨屋で行うのだが、こう考えると京都と奈良はそう遠くないのだということが実感出来るのである。



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月読神社の謂われは、その駒札によると、

『月読神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。

文献によれば、顕宗3年(487)阿閉臣事代が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて宣託をしたので、

これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田に社を創建したとされ、斎衡3年(856)に松尾山南麗の現在の地に移ったと伝えます。

境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御船社、聖徳太子社などから構成されています。

月読神社が京都へもたらされるにあったっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、

古代京都の神祇信仰や、また渡来文化を考える上で重要な意味を持つ神社であるといえます。』

                         出典:【月読神社境内の駒札】より



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月読神社は、松尾大社からさほど遠くはないのだが、歩いても5分の所だが、訪れる人は少ないのだが、

この神社も神功皇后に由縁の安産の神として崇められ、毎月の戌の日には、子産け、安産の社として訪れる人は多いのである。