松尾大社から南に山裾の道を5分ほど歩くと、こんな石碑に出会うことになる。



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松尾大社の境外摂社である「月読神社」の前に建つのが、『押見宿祢霊社遺跡』の石碑である。

式内大社の月読神社累代祀官の遠祖の社が、ここにあったということが記されている。



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石碑に書かれた碑文によると、

『日本書記によれば、顕宗天皇の三年歌荒樔田に月読社が創祀せられ、伊岐県主の祖、押見宿祢が祀官となっている。

宿祢の子孫は世々その職を伝え伊岐を姓としたが、九世紀に入り水害のため神社を奉じてこの地に移るや、松室氏を称した。

一族栄え、十二世紀も初めには、二条帝の皇后六条帝の御生母育子を出すに至った。

江戸時代、十七分家は男子は非蔵人、女子は御局として宮中に仕えた者が多い。

維新後、時世変易同族四散するに至ったが、この度血脈を伝ふる者相謀り、曽て押見宿祢を祀る霊社も存したこの地に碑を建て、祖宗縁故の由来を記すものである。』

          出典:【月読神社累代祀官遠祖 押見宿祢霊社遺跡の碑文】より