車折神社には芝居や映画、音楽などの芸能の分野で活動する人達の厚い信仰を受けている、芸能神社がよく知られている。



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芸能神社は車折神社の末社で、祭神は天宇受賣命(あめのうずめのみこと)で、創建は比較的新しく、昭和32年(1957)に、他の末社から分祀をされたのが始まりである。

天宇受賣命は日本神話(古事記や日本書紀)に登場する、日本最古の踊子と云われ、そのことから芸能の神として崇められているのである。



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古事記によると、天照大神が、荒ぶる神の須佐之男命の悪行に対し、怒りのために天の岩屋戸に隠れたことで、世の中が真っ暗になってしまった時に、

天の岩屋戸の前で天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が桶の上に乗り、胸乳をあらわにし、裳(女子が腰から下をおおった衣服)の紐を股に押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかして踊った。

それを見た神々の騒がしき様を訝しく思った天照大神が岩戸を少し開くと、天手力雄神が岩戸を開き、再び世界に光が戻った。

このことから天宇受賣命が日本最古の踊子で、芸能の女神として崇敬されているのである。

芸能神社は、その天宇受賣命を祀る神社として、芸能関係の人達から厚い信仰を受けているのである。



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芸能神社は、あらゆる芸能・芸術の分野で活躍する人たちに強い信仰があり、芸名などを記した朱塗りの玉垣が2,000枚以上も奉納されている。

写真には松浦亜弥の玉垣がみえるが、米倉涼子や西田敏行、松平建などの玉垣もあり、社寺の周りをめぐり、その名を探すのも面白いであろう。



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芸能神社には、本殿の柱といわず鳥居や賽銭箱にまで、もう貼れないというほどの名札や写真などが貼られている。

本人が貼ったのではなく、ここを訪れたファンが、人気がでますようにと、また公演が上手くいきますようにとかの願いを込めて貼ったものであろうか。

なかには文字がかすれ読めないものもあるが、このところ狭しと貼られた札を、時間があれば読んでみるのも一興かと思うのだが、あまりに多く、見ただけで止めてしまうのである。