帷子ノ辻から三条通を西に嵐山の方に向かうと、どれくらい歩いたろうか(10分位か)京都嵯峨野郵便局に出会うことになる。 |
この嵯峨野の郵便局のある辺りが、その昔、千恵蔵プロの撮影所があった所である。 |
片岡千恵蔵は戦前、戦後にかけて時代劇というジャンルの映画を支えてきた映画俳優である。 |
明治36年(1903)に群馬県に生まれ、戦前の昭和3年(1928)に片岡千恵蔵プロダクションを設立し、この太秦の地に撮影所を開設する。 |
伊丹万作や稲垣浩や太平洋戦争で戦死し後に天才的な監督と云われた、山中貞雄などや、のちに東映で活躍するマキノ正博などの監督で数々の傑作を生み出していくのだが、 |
この当時、俳優のプロダクションとしては9年の長きに亙り映画制作を手掛けるのだが、昭和12年(1937)に千恵蔵プロは解散をして、全社員共に日活に移籍をすることになる。 |
その後、片岡千恵蔵は東映に移り、多羅尾伴内シリーズやいれずみ判官の遠山の金さんなどで一世を風靡し、とくに血槍冨士や大菩薩峠などは傑作といわれ、今なお根強いファンがいるのである。 |
昭和30年代後半、映画が衰退してくると、東映のもう一人の時代劇スターである北大路の御大といわれた、市川右太衛門は主役にこだわって引退したのに対して、 |
山の御大と呼ばれた片岡千恵蔵は、昭和38年(1963)の「十三人の刺客」などの群集時代劇(今年、この映画がリメークされ話題となった)などに出演したりと、晩年はテレビの「大岡越前」で、越前の父親役を演じたりしている。 |
いずれにしても、映画華やかしい頃の日本映画を支えた人物の一人であり、千恵蔵プロダクションの撮影所があったのが、この辺りなのである。 |
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