三吉稲荷のすぐ南には、瀟洒な藁葺き屋根の山門を構える「西光寺」がある。



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クリックで大きくなります 西光寺は浄土宗の寺社で、法然の弟子、来迎房円空を開祖とする。法然は浄土宗を開き、一心念仏を唱えれば、皆極楽浄土へと往生できると説くのだが、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで往生ができるという教えに反対の比叡山の僧侶が念仏の停止を訴えるなどの迫害を受け、法然の死後も、その遺骸の略奪が企てられた為に、この西光寺に7ケ月間隠されたと云われる。

寺社の駒札によると、

『浄土宗の開祖法然上人のご遺骸を、約7ヶ月間お護りした寺院。

嘉禄3年(1227)に、念仏の教えの広まりに反対した僧侶たちが、大谷(現知恩院)の法然上人のお墓を破壊し、ご遺骸を鴨川に流す計画をした。

その企てを知ったお弟子が、奥嵯峨の二尊院にご遺骸を移して、お隠しした。しかしすぐに知れたので、密かに当寺にお移しした。

そして、西光寺開祖の来迎房圓空が、翌年の1月25日までご遺骸をお護りした。その後ご遺骸は、京都の西山の粟生野で、荼毘(火葬)に伏された。

西光寺のご本尊は阿弥陀如来坐像。平安時代初期の作品で、寄木造、玉眼入りである。国の重要文化財に指定されている。

                         出典:【法然上人ご遺跡 西光寺の駒札】より