昨日、高知から帰ってきました。また一週間後には再び高知に帰らなくてはならないのですが、この一週間、京都太秦巡りを再開しましょう。 |
広隆寺の西側の駐車場から南に歩いていくと、東映京都撮影所がある。 |
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今この東映京都撮影所がある所は、その昔、竹薮だった地を切り開き、阪東妻三郎が撮影所を建設したことに始まる。 |
阪東妻三郎といっても今は知らない人が殆んどだろうが、明治34年(1901)に東京に生まれ、映画の黎明期を映画と共に駆け抜けた人物で、大正から昭和にかけての無声映画の時代劇スターとして活躍するのである。 |
映画がトーキーとなり |
(トーキーとは今の映画のように、音が入ったもので、それまでの映画は写真だけで音はなく、活弁士なる人物が、その写真の物語を語っていたのである。) |
阪妻の声が出たときはファンはその声に失望したというが、努力を重ね、戦後も「王将」の坂田三吉や丹下左膳などの役で、スターとしてその名を残したのだが、 |
昭和28年(1953)51才で亡くなるのだが、その子の長男、田村高広(2006年没)、三男、田村正和、四男、田村亮はいずれも俳優として今も活躍しているのである。 |
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その阪妻が設立した撮影所が、松竹に譲渡され、その後、数多の変遷をへたのちに、戦後の昭和22年(1947)に東横映画の発足とともに、東横の撮影所となる。 |
その4年後の昭和26年(1951)に、東横映画、太泉映画、東京映画配給の3社が合併し、東映が設立されて現在も東映太秦映像いや、東映京都撮影所として映画の製作に関わっているのである。 |
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