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御所八幡宮のある高倉通から西にひとつ御池通間之町南東角の吉忠ビルの脇に「在原業平邸跡」の石碑が建っている。

平安時代のこの界隈には、高陽院・高倉殿・花山院・大炊内裏など貴族の邸宅や内裏があった所で、そんな中に在原業平の屋敷もあったようである。



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在原業平(ありわらのなりひら)は、平安時代初期の貴族で、今でいうイケメンのプレイボーイだったようである。和歌に秀でていて、六歌仙・三十六歌仙の一人である。

業平は相当の美形だったようで、「業平のようだ」といえば美男子のことをいい、「業平作り」は業平のような身の作りから美男子の容姿に例えられる。

業平の詠んだものでよく知られているのが、

「世の中に たえて櫻の なかりせば 春の心は のどけからまし」

「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くゝるとは」

「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ」

「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」

などがある。



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話は少し横にそれるが、業平に所縁の地が京都、奈良にあり

奈良市法蓮町の「不退寺」

業平の誕生地とされる、天理市櫟本町の「在原神社」

夜な夜な女性のもとに通ったという「高安の地」

晩年を暮らしたという、京都市西京区の「十輪寺」

そして、この左京区吉田神楽岡町にある吉田山の「業平塚」、吉田山の頂上から東側に少し下がった処に、業平塚がある。

塚といっても石積みの塔があるわけでもなく、木の塔があるでもなく数個の石が積まれ、周りを石柱で囲んだ質素なもので、業平塚と書かれた駒札がなければ、これが業平塚だとは想像だにすることは出来ないのである。

このように在原業平にまつわる所を廻ってみるのも面白いかも知れない。