妙心寺の塔頭巡りもあますところ、あと2ケ所。これせ46寺院総てをまわったわけではないのだが、この2寺院をみて妙心寺を後にしよう。



『大法院(だいほういん)』

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大法院は、戦国時代に豊臣方として戦った真田幸村の兄で、松代藩主の真田信之の菩提寺である。

また、幕末の松代藩家臣で、三条木屋町で攘夷派に暗殺された佐久間象山の墓もここにある。

客殿を囲むように広がる庭は「露地庭園」といわれ紅葉の季節には、なんともいえぬ幽玄の世界がひろがることになる。

(露地とは、茶室に付随する庭のことである)



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妙心寺の西側には、御室の仁和寺に行くときに見えた「双ケ岡」を望むことが出来る。



『霊雲院(れいうんいん)』

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霊雲院は、大永6年(1526)に細川氏の重臣で摂津守護代の薬師寺国長の妻「清範尼」の援助を受け、妙心寺25世大休宗休が師である特芳禅傑を開祖として創建される。

非公開の寺院なので内を見ることは出来ないが、重要文化財の書院や元禄6年に改築された方丈などがある。

狩野元信筆の障壁画、「御奈良天皇宸翰円満本光国師号勅書」が描かれているのも有名である。



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またこの寺院には、日本を代表する哲学者、西田幾多郎の墓所がある。

西田幾多郎は、明治3年(1870)に石川県に生まれ、東京帝国大学を卒業し故郷の第四高等学校で教鞭をとる。

のち明治43年(1910)に京都帝国大学にて倫理学を教えるようになり、翌年、有名な「善の研究」を世に送る。この本は、カントの『純粋理性批判』と共に、戦前の日本では学生の必読書とされた。

京都に住んだ時に、銀閣寺のそばの琵琶湖疎水を思案に耽りながら散策したことから「哲学の道」と呼ばれるようになった。

道の中ほどの法然院近くの疎水べりに、西田が詠んだ歌

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」

の石碑が建っている。