妙心寺には40余の塔頭がある。その殆んどは非公開の寺院であり、桂春院、大心院、退蔵院のみが一般公開されている。

その全部は紹介出来ないが、いくつかの塔頭には著名な人の墓所もあり、そんな寺院を主として廻ってみよう。まずは北門を入った東側にある寺院から訪ねてみよう。

法堂から西方丈を過ぎると、萬福寺西側の堂宇が見えてくる。



『隣華院(りんかいん)』

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臨済宗妙心寺派に属し、開山は南化玄興(なんかげんこう)、開基は、豊臣秀吉の家臣で賤ヶ岳七本槍で有名な脇坂安治(わきざかやすはる)で、慶長4年(1599)の創建になる。

ここには、長谷川等伯の襖絵が方丈にあり、他の部屋には狩野永岳の襖絵が描かれている。ちょうどこの時期に非公開文化財特別公開がされていた。



『智勝院(ちしょういん)』

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稲葉貞通が父、稲葉一鉄の菩提を弔うために慶長2年(1597)に建立される。境内には明智光秀とともに山崎で戦い、敗走の後に六条河原で斬首された、

春日局の父斎藤利三の墓がある。非公開寺院であるが、秋には紅葉が美しい。



『麟祥院(りんしょういん)』

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クリックで大きくなります 徳川3代将軍家光の乳母春日局を開基とする妙心寺の塔頭で、開祖は肥前藩主鍋島勝茂の子碧翁愚完(へきおうぐかん)である。正暦年間(990~994)に源頼信の創建した天神社があったのを家光が鎮守社となし局の香萃寺をここに建立したと伝える。  寛永11年(1634)院領朱印二百石が特賜された。

当初、仙洞女御所釣殿であった建物を後水尾天皇より局に下賜されて後、二条城に移築し、局在世中は能舞台として使われたという。

寛永20年局逝去後は当院に移し祠堂となり、現今は霊屋(たまや)として保存されている。

 明治30年(1897)現在の花園学園の校地の位置から現在の地に移され、明治43年(1910)書院式枯山水様式の庭園が作られた。

釣殿の襖絵、春日局画像、同木像等のすぐれた所蔵品のほか、海北友雪筆「雲龍図」は特に有名である。

                          出典:【麟祥院の駒札】より



『大通院(だいつういん)』

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大通院は、天正14年(1586)、一柳直末(いちやなぎなおすけ)が妙心寺五十八世南化玄興定慧円明国師を開祖とし創建され、その二世湘南宗化(しょうなんそうけ)は土佐藩主、山内一豊と千代の養子である。

見性院(千代)は一豊が亡くなると土佐を引き払い、湘南宗化の住む妙心寺の近くに屋敷を構え余生を過ごしている。

元和3年(1617)に没すると、亡骸は土佐の山内家墓所に葬られたが、この大通院境内に、山内一豊と妻千代の卵塔の墓石と位牌、肖像画が安置されている御廟がある。