| 花園の双ケ丘の東に、広大な寺域を持つ「妙心寺」がある。臨済宗・妙心寺派の本山で、日本にある臨済宗寺院6,000寺のうちの3,500を妙心寺派で占めている。 |
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| 妙心寺には、北門と南門とがあるのだが、表はJR花園の駅から歩いて5分の所にある南門である。 |
| 随分昔になるのだが、この妙心寺には蚕ノ社にすむ、母の叔母と母親と自分とで訪ねた記憶が残っている。 |
| ただ蚕ノ社からどうやってここに来たのかが思い出せない。嵐電では、帷子ノ辻で乗換えなのだが、電車を乗換えた記憶はない。 |
| 勿論、バスではそんな路線はなく、歩くなんてとても出来ないし、多分、母が叔母の家に泊まっっていたので、車で迎えにいったのか、送っていたのかの折に妙心寺に行きたいといわれ、車で行ったのだと思うのである。 |
| 自分は路駐をして待っていたように思うのだが、その二人も今は鬼籍の人となり、自分の曖昧な記憶が残っているだけである。 |
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| 妙心寺は、もとは清原左大臣の別荘であった所を、その後花園上皇が離宮としたものである。花園上皇は深く禅宗に帰依し、延元2年(1337)にここを禅寺とした。 |
| 応永や応仁の兵火により荒廃し、江戸時代になり禅宗伽藍として整えられた。 |
| 妙心寺の駒札によると、 |
| 『正法山と号し、臨済宗妙心寺派の大本山である。深く禅に帰依された花園法皇が関山慧玄(かんざんえげん)を開山とし、離宮萩原殿を改めて寺とされたのが当寺の起りで、 |
| 室町初期に一時中断し再興後応仁の乱で再び焼失したが、乱後雪江宗深(せっこうそうしん)が再建、弟子にも名僧が出て寺運はさかんとなり、塔頭が相ついで建てられ、地方へも当寺の勢力は発展した。 |
| 現在末寺3,500余、臨済宗各派中最大である。勅旨門より北へ三門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈が一直線に並び、その東側に浴室・浴室鐘楼・経蔵が並ぶ。 |
| 室町後期から江戸初期の建築で、近世禅宗伽藍の最も完備した形を示している。大方丈(だいほうじょう)の二面の庭園は清楚な名園である。 |
| 法堂内に収蔵されている鐘は黄鐘調(おうじきちょう)の鐘といわれ、698年の作、我国最古の在銘鐘で、形・音色にすぐれている。寺宝には当寺の歴史に関する多くの文化財を蔵する。また、塔頭は40余に達し、禅宗本山として堂々たる寺容をほこっている。』 |
| 出典:【妙心寺の駒札】より |
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