もう少し「仁和寺」の境内を歩いてみよう。



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この鐘楼も江戸の初期に建立されたものであり、袴腰式といわれ江戸の様式を色濃く残している。



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御室の水掛不動は、今の堀川に架かる戻橋が洪水で流され、その復旧の時に橋の下より取り出されたもので、

心なき者が悪戯をするので仁和寺に帰りたいとのお告げにより、ここに安置され、諸願成就や幼児の難病に霊験あらたかだと云う。

                         参照:【御室水かけ不動尊由来】より



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御所の清涼殿を移築したもので、単層、宝形造、桧皮葺でこの建物も桃山時代の様式をよく残している。宗祖弘法大師、開山宇多法皇と、2世門跡性信親王を祀っている。



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観音堂も、寛永18年(1641)から正保元年(1644)にかけて建立されたものである。

千手観音菩薩を本尊とし、脇侍として不動明王・降三世明王が、その周りに二十八部衆が安置されている。

須弥壇の後ろや壁面、柱などには、極彩色で仏・高僧が描かれている。



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仁和寺第二世性信親王の出家の師である済信大僧正(954~1030)の聖徳をしのび追恩謝徳の浄域として定められたところである。

仁和寺北院済信大僧正は左大臣源雅信の賢子で時の仏教界の聖僧として朝廷より僧侶として初めて牛車の使用を許された。後世故大僧正追恩遙拝のあとといわれている。

                               出典:【済信塚の駒札】より