西光庵を過ぎて、さらに北へ歩くと、徒然草の舞台として有名な「双ケ丘」が左側に見え、そのとうろく東麓にある『長線寺』に吉田兼好の墓がある。



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ここが吉田兼好(卜部兼好(かねよし))の住居跡とされるが、最初は双ケ丘の二ノ丘西麓に庵を構え「徒然草」を書いたと云われる。

長泉寺の境内には、吉田兼好の墓と伝えられる「兼好塚」があり、その横に

「契りおく花とならびの岡の上に 哀れ幾世の春をす ぐさむ」

の碑が建っているのだが、ここも非公開であり内を見ることは出来ない。



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吉田兼好は鎌倉時代の終りから南北朝時代を生きた人物で、徒然草の作者といえばその名を知らぬ人はいない。

本名を卜部兼好(うらべ かねよし)というのだが、卜部のなかでも吉田家の系統だったことから、吉田兼好とも呼ばれるようになり、出家により兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれ、国語の教科書では、殆んどこの名で表されており、兼好法師という名でよく知られているのである。

また『徒然草』(つれづれぐさ)は、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つである。

『つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。』

で始まるフレーズは誰しも一度は読んだことであろう。