| 地蔵堂から北に三叉路を右に行くと、こんもりと樹木が繁った鳥羽天皇皇后璋子花園西陵がある。 |
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| 法金剛院を再興した待賢門院は、ここ花園西陵に眠っている。法金剛院のところでも書いたように、藤原璋子(しょうし・たまこ)は白河上皇の養女となり、その子の鳥羽天皇に嫁ぐのだが、 |
| この婚礼は仮の契で、第一子の崇徳天皇は白河上皇の子だと云われ、後の第四子、後白河天皇と争う「保元の乱」にとつながっていくのだが、この時は、それを知るよすがもないのである。 |
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| 白河上皇は「賀茂川の水、賽の目、比叡の山法師」の三つが意にならぬと云った上皇で、その権力は絶大なものであったが、 |
| 77才で崩御すると、大きな重しがとれたように、鳥羽天皇は璋子に愛想づかしをし、藤原得子(美福門院)を寵愛し、近衛を生ませ、崇徳天皇に代わり、近衛を天皇につけるのである。 |
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| そして、待賢門院は強力な後ろ盾をなくし、その権力を失うと、この花園の地に法金剛院を再興し余生を送るのだが、 |
| 40才を超えてもその美貌と教養に引かれ、この寺に通う者も多かったのだが、その3年後に、長兄、藤原実行の三条高倉第にて崩じた。 |
| その後、第一子の崇徳上皇と第四子の後鳥羽天皇との間で、源平の武士が戦う「保元の乱」が起こるのであるが、 |
| 子と子が争うこの戦を璋子はみることはなく、もはや璋子には遠い話であり、この花園西陵に静かに眠っていたのである。 |
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