長崎から大坂に戻る船の中で、後藤象二郎に話したという「船中八策」であるのだが、
実はその前に、横井小楠が、国是七ケ条なるものを提唱しているのだが、
まずは明治新政府の基本方針である、「五箇条のご誓文」からみてみよう。
 

五箇条の御誓文は
明治新政府がその行動理念として表したのが「五箇条の御誓文」で、明治元年正月に、
福井藩出身の参与、由利公正が、坂本龍馬の船中八策を基にして「議事之体大意五箇条」
なるものを起案する。
これを土佐藩出身の参与、福岡孝弟が手を加え、さらに木戸孝允が明治新政府よりの解釈を加えて、
「五箇条の御誓文」として誓訳されることになる。
 

 
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一、広ク会議ヲ興(おこ)シ万機公論(ばんきこうろん)ニ決スベシ
(広く会議を起こし、天下の政事は世の中の議論によって決めること)
 
一、上下(しょうか)心ヲ一(ひとつ)ニシテ盛ニ経綸(けいりん)ヲ行フベシ
(身分に関わらず心をひとつにして、国家を治める活動を行なうこと)
 
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其(おのおの)志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦(う)マザラシメン事ヲ要ス
(公卿と武家はたまた庶民に至るまで、それぞれの志を遂げることが出来るようにして、
国民を失望させやる気を失うことがないようにすること)
 
一、旧来ノ陋習(ろうしゅう)を破リ天地ノ公道ニ基クベシ
(古くからの悪いしきたりに囚われず、万国公法に則って世界に通じる行動をすること)
 
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基(こうき)ヲ振起(しんき)スベシ
(知識を世界に求め、大いに日本の国を発展させること)
 
我国未曾有ノ改革ヲ為ントシ 朕躬(ちんみ)ヲ以テ衆ニ先シ 天地神明ニ誓ヒ 
大ニ斯(この)国是(こくぜ)ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス 衆亦(また)此旨趣ニ基キ共心努力セヨ
(我が国は、空前の変革を成そうとし、朕(天皇)が身をもって国民に率先し、
天地の神々に誓い、大いにこの国家の方針を定め、国民の安全を保護する道に立てんとし、
国民もまた、この趣旨に基づき心を共にし、努力せよ)
 

船中八策は
慶応2年(1867)6月、土佐藩の夕顔丸で長崎を出航し、京へ向かう船の中で、
参政の後藤象二郎に語ったものを、海援隊士の長岡謙吉が書きとめたものと云われているが、
原文も写本も現存していない。

 
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一策、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事
(政権を朝廷にお返し申し、政令は朝廷から発すること)
 
二策、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事
(上下の議会を設置し、議員を置いて天下の政事に参与し、天下の政事はすべて公論によって決すること)
 
三策、有材の公卿諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の、官を除くべき事
(すぐれた公卿・大名や世の人材の中から顧問を選び、官爵を与え、有名無実の官は除くこと)
 
四策、外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事
(外国との交際を議会で決定し、新たに平等な条約を結ぶこと)
 
五策、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事
(旧い法令を改正し、限りのない(永久)憲法を選定すること)
 
六策、海軍宜しく拡張すべき事
(海軍を整備拡張すること)
 
七策、御親兵を置き、帝都を守護せしむべき事
(親兵を置き、都を守ること)
 
八策、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事
(金銀の交換比率や物の値段を外国と同じにする法律を設けること)
 

国是七条は
文久2年(1863)、福井藩主・松平春嶽が徳川幕府の政事総裁職に就くと、横井小楠は
幕政改革の方針として「国是七条」を春嶽に建議する。
この国是七条を元に、龍馬が船中八策を建議したとも云われている。

 
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一条、大将軍上洛して、烈世の無礼を謝せ
(将軍は自ら京にいって、朝廷に代々の無礼を謝ること)
 
二条、諸侯の参勤を止め、述職とせよ
(参勤交代制を廃止し、各藩の情況を報告する制度に改めること)
 
三条、諸侯の室家を帰せ
(大名の妻子を国元に帰すこと)
 
四条、外様譜代に限らず、賢を選んで政官となせ
(これまでの家柄にこだわらず、優秀な人材を登用し、政事にあたらせること)
 
五条、大いに言路を開き、天下公共の政をなせ
(多くの人で議論をし、公明正大な政事を行うこと)
 
六条、海軍を興し、兵威を強くせよ
(海軍をつくり、軍の力を強くすること)
 
七条、相対貿易を止め、官の交易となせ
(自由貿易はせず、幕府が統括し貿易をすること)