龍馬の歩みを少し振り返ってみると、 |
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龍馬は高知の上町一丁目で、郷士の家の次男として、天保6年(1836)に生まれる。剣術は、土佐で日野根道場に通い、 |
その後、江戸に出て千葉道場にて北辰一刀流を学び免許皆伝の腕前を持つ。ここで平井加尾よりも別嬪だという千葉佐那と出会う。 |
文久元年(1861)には、武市半平太の起した土佐勤皇党に参加した後、脱藩して勝海舟に師事し、海援隊という軍事と通商とを併せ持つ組織を創りあげた。 |
慶応2年(1866)1月22日に、薩摩の西郷と長州の木戸を説き薩長同盟を締結させたのは、維新の歴史のターニングポイントとしてよく知られている。 |
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薩長同盟を成立した翌々日に、伏見の寺田屋で襲われるも、お龍さんの機転で難を逃れる。 |
その後、治療を兼ねて、お龍さんと薩摩の霧島に旅行したのが日本最初の新婚旅行だと云われている。 |
長崎から大阪に戻る船の中で、後藤象二郎に話した「船中八策」を基に、後藤が山内公を、山内公が徳川慶喜を説き、大政奉還が成し遂げられた。時、慶応3年(1867)10月14日で、 |
その一ヶ月後、京の近江屋にて刺客に襲われ、中岡慎太郎と共に凶刃に倒れた。暗殺したのは、京都見廻組とも新選組とも云われているが、実は薩摩が放った刺客ではないかと自分などは思っているのだが。 |
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議会政治ではなく武力倒幕を策していた薩長であり、そのことから龍馬の動きは煙たかったようである。切りつけたときにチェストと発せられたとも云われているが、真相の程は藪の中である。 |
龍馬33才、慎太郎29才であり、奇しくもこの日は龍馬の誕生日と同じ、11月15日であった。 |
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