霊山墓地の一番の高見にあるのが、長州の人である、木戸孝允、幕末には、桂小五郎と呼ばれていた人物の墓石である。 |
桂小五郎と呼ぶべきか、はたまた木戸孝允と呼ぶべきか、この人物を語る上では、この二つの名の由来に於いて、どちらの名でこの人物を呼ぶのかで、見る目が変るのである。 |
随分と名を変えたようであるが、幕末の桂小五郎は、逃げの小五郎と云われ、幾度か命の危機に巡りあったのだが、 |
何れも、その危機を察知していち早く、その場から逃げ伸びて、明治維新を向かえている。 |
その際たるものが、池田屋の変で、一度は池田屋に足を運ぶのだが、時が早く対馬屋敷に戻ったところで、新選組に踏み込まれ池田屋にはいなかったのである。 |
というのが通説なのだが、実は池田屋の変では、近藤勇が踏み込んだ際には、いち早く池田屋から逃げたという説もあるほどに、逃げるのが早かった小五郎である。 |
この人の維新における功績は色々と語り継がれているが、芸妓、幾松と相思相愛となり、幾度か幾松の機転に助けられたというのだが…… |
木戸孝允墓の隣には、孝允の妻である、木戸松子の墓が並んで建っている。 |
京の三本木の芸妓・幾松の時に、桂小五郎と出会い、小五郎苦難の時代を共に過ごし、明治維新を向かえ正妻となり、木戸松子を名乗る。 |
幾松はその名を松子と変え、勤皇の志士たちが眠る霊山の小五郎の側で眠っているのである。 |
一方、坂本龍馬の妻お龍さんは、その晩年は恵まれず、霊山にある坂本龍馬の隣には共に凶刃に倒れた中岡慎太郎が眠り、 |
お龍さんは遠く離れた神奈川の横須賀にある、信楽寺に葬られ近年この霊山に分骨されたのだが、その石碑は霊山にはないのである。 |
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