幕末は勤皇も佐幕もたがいに暗殺に明け暮れた時代であったのだが、特に勤皇の志士たちが志を半ばにして、悲運の死をとげた時代でもあった。
その代表的な出来事が、元治元年(1864)に新選組が池田屋にて志士たちを襲った「池田屋騒動」である。そこで非業の死を遂げた志士たちがここに祀られているのである。

 
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池田屋の変で非業の死を遂げた志士たちは、左から、
福岡祐次郎(伊予(松山)藩士)池田屋の変にて闘死。
河瀬室幸
河瀬太宰
(近江膳所藩士)
駒井躋庵
古高俊太郎(近江国の代官手代の子)新選組の捕縛され、池田屋事件の発端となる自白をする。六角獄舎に収容されるも、禁門の変での火災に乗じて、36才で斬首される。
大高又次郎(播州林田藩士)池田屋の変にて42才で斬死。
広岡浪秀(長州の神官)池田屋から脱出するも、長州藩邸付近にて、24才で絶命。

 
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そして、
本山七郎(土佐高岡郡の庄屋の五男)本名は、北添佶摩、池田屋の変にて、30才で闘死。
松田重助(肥後(熊本)の志士)池田屋で捕縛、翌朝脱出するも河原町で、会津藩士により、35才で斬殺。
伊藤香力
宮部鼎蔵
(肥後(熊本)藩士)池田屋の変にて、45才で自刃。
川嶋武二郎(近江膳所藩士)禁門の変にて、24才で戦死。
武林八郎(河内の志士)天誅組の変で捕縛、釈放され、禁門の変で鷹司邸にて戦死。
粟屋良之助(近江膳所藩士)禁門の変で堺町御門にて、24才で戦死。
若松弘之進(豊後(大分)の医師)禁門の変で蛤御門にて戦死。
の名が墓石にある。