霊山には又、こんな石碑も建っている。勤皇は武士だけでなく、相撲取りにも広がっていたのである。



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霊山の一角に「勤皇力士 錣形岩右衛門之碑」という、錣形の子孫が建てた石碑がある。

碑文によると

『京都相撲横綱、錣形岩右衛門は上方相撲頭取として活躍すると共に、禁裏守護補佐力士隊長を拝命し、王政復古の礎石として名実共に輝かしい幾多の功労を尽くした。

因りて、此処に顕彰の碑を建立す』とある。

禁門の変にも、長州側に、力士隊なるものが存在し、勤皇に力を尽くしたのである。

碑文では、錣形は横綱となっているが、どうやら錣形は横綱でないことが判明しているが、いずれにしても、力士まで勤皇の思想が広がっていたのが、幕末の時代なのである。

今の角界が賭博まみれとなっているのに対して、勤皇や佐幕と時代の流れのなかで、その志を貫いたのである。現在の角界はもって範とすべきではないだろうか。