| 東山霊山のもと霊明社の寺域であった、旧霊山官修墳墓には、明治維新を向える道半ばで散っていった勤皇の志士たち、1,356名の霊(みたま)が祀られている。 |
| 「京都、龍馬をゆく」を締め括るにあたり、霊山に祀られた志士たちの志ざしを振り返ることにより、京都での龍馬歩きを於えようと思う。 |
|
| この霊山の地に招魂社をと願ったのは明治天皇であり、明治元年(1868)5月に維新を目前にして斃れた志士たちを奉祀するようにと、東山の霊山の地が選ばれた。 |
| それに呼応して各藩は、この地に夫々、殉節した志士を招魂するための社を建てたのである。 |
| これが、霊山護国神社の始まりであり、明治元年(1868)7月に長州(山口)が、明治2年(1869)3月に京都、そして9月に土佐(高知)が、 |
| 明治3年(1870)3月に筑前(福岡)が、6月に因幡(鳥取)が、9月に肥後(熊本)の各藩が招魂社をこの地に設けている。 |
| 写真は土佐の招魂社である。 |
コメント