霊山歴史館の向かいには、幕末、維新に殉節した勤皇の志士と、それ以降、太平洋戦争に至る京都府出身の英霊7万3千11柱を祀った「霊山護国神社」がある。



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その昔、この地は霊明社という神社があり、幕末から明治維新にかけて道半ばで殉節した勤皇の志士を奉祀していた。その寺域は広大で霊山と呼ばれ、勤皇志士の心の拠り所でもあった。

明治維新を向かえ、明治元年(1868)5月に、太政官布告をもって我国初の官祭招魂社と定めた。

(官祭招魂社とは、国の費用で祭祀し、神社の運営を行なった招魂社)
(招魂社(しょうこんしゃ)とは、国家のために殉難した英霊を祀った神社)

この布告により各藩は社殿を建設し、同年7月には盛大な祭典が挙行された。ついで明治10年(1878)には皇室より巨費が下賜されて神域が整備され、全国招魂社のうち最も崇敬をあつめた。

これにより、霊明社の寺域は縮小され、今は正法寺への参道横に、霊明神社としてその面影を残している。



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昭和4年(1929)6月には、昭和天皇御即位大礼の建物を下賜せられ、現社殿を整備し、昭和14年(1939)に護国神社と改称して現在に及んでいる。

霊山神域内には、坂本龍馬・中岡慎太郎・木戸孝允(桂小五郎)・平野国臣・宮部鼎蔵(ていぞう)をはじめ蛤御門の変・天誅組の義挙等に加わった志士の墓300余基があり、1356柱が合祀されており、この地は明治維新をしのぶ大霊域・史跡である。

                    出展:【京都霊山護国神社の駒札】より