土佐藩邸跡の横、高瀬川に架かる「蛸薬師橋」を渡り、蛸薬師通を河原町通に歩くと、右側に「土佐稲荷・岬神社」がある。 |
![]() |
京都市中京区蛸薬師通河原町東入ルにある神社。正面に見える通りが、木屋町通である。 |
![]() |
本神社は、室町時代初期の貞和4年(1348)に鴨川西寄りの中洲の岬に祠を建て祀られたのが始まりで、 |
その後、江戸初期に備前島町に建てられた土佐藩京屋敷内に遷座される時に、倉稲魂命(くらいなたまのみこと)と石栄神(せきえいがみ)のニ座を祭神とし、通称「土佐稲荷・岬神社」と称した。 |
土佐藩の人々はもとより、坂本龍馬や中岡慎太郎などもこの神社を崇め、近隣の人々からも尊崇されたので、町衆にも屋敷内の通り抜け参拝を許すなどの処置をとった。 |
先斗町や木屋町の町衆などからは産土神として崇敬されたが、明治維新により土佐藩邸が売却されるとき、下大阪町に移されたが、 |
その後、備前島町の近江屋井口新助が元土佐藩用人邸を買い取り、明治20年(1887)にこの地に遷座をし。大正2年(1913)に先斗町、木屋町などの人々により大規模な造営を行い、社殿が建立され現在に至っている。 |
出展:【土佐稲荷・岬神社の由来 駒札】より |
![]() |
その社殿の横に坂本龍馬の小さな像が在るのだが、昨年(2009年1月)に見たこの銅像は、原形が分からないくらいに欠けていた。 |
思うに、この像のかけらを持っていると、「願いがかなう」「恋の想いがかなう」ということが噂となり、龍馬さんの像を欠いて持っていく人が絶えないのである。 |
龍馬さんもこの後になって、とんだ災難を被ったものである。 |
![]() |
ところが、今年の初め(2010年1月)に行ってみると、龍馬さんの銅像が新しくなっており、高知の桂浜にある坂本龍馬像の姿で建っていた。 |
いくら「願望成就」や「恋愛成就」するといっても、龍馬さんの銅像をどうか壊して持って帰らないようにしておくれやす。 |
![]() |
その神社の前を通り、その先が河原町通となる。 |
コメント