柳原銀行資料館のある崇仁コミュニティセンターの敷地に建つのが「桜田儀兵衛翁の顕彰碑」



 クリックで大きくなります

クリックで大きくなります 石碑の高さは379cm、幅61cm、おくゆき60cmであり、石碑の正面(南西)に『桜田儀兵衛氏之碑』、右側(南東)に『従三位公爵近衛篤麻呂書』、左側(北西)に、『明治二十八年三月』と刻まれている。

桜田儀兵衛翁の顕彰碑の概要によると、

『桜田儀兵衛は天保三年八月に生まれ、明治六年一月に柳原庄(現崇仁学区)戸長となり、地元の改善・向上に尽力した。

土地や資金を寄付し明治九年に柳原小学校(現崇仁小学校)の校舎を新築し、火災や凶作による村内の貧困者に対して、家宝を売り、倉庫を開放して救助に当たった。

また明治十九年に京都でコレラが大流行したが、桜田が村内の大掃除を実施し予防につとめたため、他地区に比べて患者の数は僅かにとどまった。

明治二十二年に柳原庄は紀伊郡柳原町となり、桜田が町長に選出された。町長になってからも、桜田は貧民授産所を設立したり、衛生懇談会を開くなど地元の向上に尽力し、これらの活動は明治二十六年に病気を理由に町長を辞任するまで続けられた。同年十一月七日に死去。享年六十二歳』

とある。

                    出展:【桜田儀兵衛翁の顕彰碑の概要の駒札】より