「東京、龍馬をゆく」を於え、また京都に戻ったのだが、時の流れを少し止めて4月の始めの京都に戻ることにする。

東京に行く前の京都で、東京行きの切符を取りに京都駅に行ったので、今年は、そこから花見に行こうと思ったのである。



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京都駅から西に、塩小路通を鴨川に向かい歩くと、その途中、河原町塩小路下ルにあるのが「柳原銀行資料館」

パンフレットの施設紹介によると、

『柳原銀行は、明治32年(1899)、柳原町(崇仁地区)の町長であった明石民蔵ら地元の有志によって同和地区内に設立された唯一の銀行であった。

当時、柳原銀行は、差別のために資金を得られなかった町内の皮革業者らに融資をして、産業の育成・振興に大きく貢献したほか、その利子を地元の小学校の運営資金や道路建設資金に当てるなど、自力で差別を撤廃していく模範とされた。

大正期には、山城銀行と改称し、営業を拡大していったが、金融恐慌などの影響を受けて、昭和2年(1927)に倒産をする。



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その後、建物は商店や借家として使用されたが、昭和61年(1986)に建物の取り壊し案が出たことを契機として、地域では、建物をまちづくりのシンボルとする保存運動が盛り上がり、保存に向けた様々な取組が行なわれた。

平成9年(1997)に現在の場所に、建物を移築・復元し、柳原銀行記念資料館として開館することになる。』



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旧柳原銀行の建物は、明治40年(1907)の竣工といわれ、京都に現存する銀行建築のなかでは、旧日本銀行京都支店(現、京都文化博物館)に次いで古いものである。

(旧第一勧業銀行京都支店も明治39年竣工だが、現在の建物は取り壊された後に建てられたレプリカであり、当時の建物ではない)

木造2階一部平屋で、屋根は寄棟で隅切部は切妻造りの桟瓦葺の建物で、外観にフィールデッド・パネル(浮き彫り装飾板)やペディメント(三角破風飾り)で装飾されている。移築前はブラウンの外色だったが、移築後、建築当初のライトグリーンに塗り替えられた。


                    参照:【柳原銀行記念資料館パンフ施設紹介】より