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| 東大路から100mほど西に入ると、左側に一本の古木と石碑が建っている。この景色だけを見ると、ここが何の跡だったのか全く理解することが出来ない。古木に掛かる駒札によると、その昔ここには橋が架かっていたとあり、その名を「夢の浮橋」と云うらしい。今のこの風情からは、川が何処に流れ、何処に橋が架かっていたのかという事が、想像することだに難しい。
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ここを流れていた川は、一ノ橋川とも今熊野川とも呼ばれ、泉涌寺の後ろの山を源とし、今熊野の南を巡り、一の橋の下を流れて鴨川に流れ込んでいたようだが、今は暗渠となり流れは全く見えない。 |
ここに架かっていた橋は、四条天皇や歴代の天皇、后妃などの墓所がある泉涌寺への参道に掛けられた、長さ4間(7.3m)巾2間1尺(3.8m)の橋で、大路橋とか落橋とか呼ばれていた。 |
落橋とは、昔はこの橋の先が鳥辺山という葬送の地であり、あの世とこの世を繋ぐ橋がなければ、比岸と彼岸が断ち切れると信じられていたことから、壊れても改修をしなかったことから、落橋と呼ばれたという。 |
夢の浮橋の名は、源氏物語宇治十帖に因み、娑婆世界の無常の「夢の浮橋」が、夢のように、また浪に漂う浮橋のように、はかない様から名付けられたと云う。 |
「ことはりや 夢の浮橋 心して 還らぬ御幸 志ばし止めむ」 |
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