【六孫王神社】から次に【吉祥院天満宮(きっしょういん天満宮)】へと向かう。




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【六孫王神社】から次に行く【吉祥院天満宮】までは、『六孫王神社前』のバス停からは、直接行く事が出来ないので、東寺の横を歩き、九条通まで出て(徒歩10分)『東寺南門前』から、42系統に乗り『吉祥院天満宮前』下車(所要11分)徒歩5分で【吉祥院天満宮(きっしょういん天満宮)】へと行く方法があるのだが、

ただこのバスは1時間に1本なので、時間が合わない時は、202・208系統に乗り『西大路九条』下車(所要6分)、西大路通を南に10分ほど歩き、西大路十条を西に入ると【吉祥院天満宮(きっしょういん天満宮)】である。(京都市南区吉祥院政所町)




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吉祥院天満宮は、延暦23年(804)、菅原道真の祖父・清公(きよきみ)が遣唐使として唐へ向かう途中に暴風雨に会い、海上で祈りを捧げると吉祥天が現われ無事唐に着いたので、帰国後に邸内に一宇を建立し、吉祥天を祀り吉祥院と名付け、菅原家の氏寺としたことに始まると云われる。




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承平4年(934)〔菅原道真が亡くなって31年目〕に、朱雀天皇自らが道真の霊を鎮めんと、道真生誕の地に社殿を築いて道真の霊を祀ったことから、吉祥寺天満宮と呼ばれるようになったと云う。

また、この地は古くから六斎念仏が行なわれていた所で、今も、吉祥院六斎念仏踊として継承されている。

(六斎念仏とは、踊念仏のひとつで、平安中期の僧「空也」により始められたと伝う。踊念仏は、太鼓や鉦などを鳴らして、踊りながら念仏を唱え、六斎日(仏教で守るべき8つの戒めの日は六日あったことに因む)におこなれることから「六斎念仏」と呼ばれる。)




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吉祥院天満宮は、また道真公の誕生の地(京都には他にも道真公誕生の地とされる所があるのだが……)で、




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境内には道長(845~903)が生まれた祭に、へその緒を埋めたとされる「胞衣塚」があり、その中心にはへそを表す丸い石が置かれている。

子供の初宮詣りに、この塚の前で小児の元気な声を聞かせ、無事な成長を祈るとともに、この塚の玉石を、お喰い初めの時に、小児の口にあてると丈夫な歯が生えると云われている。




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道真が幼少の頃に、手習いに用いたとされる井戸であり、境内にあるのは新たに造られたもので、旧地は天満宮から十条通を東に600mほど歩いたところにあり、「菅函丞相硯之水 碑(かんじょうしょうすいすずりのみずひ)」の碑が建っている。





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また吉祥院天満宮の西には、弁財天を祀る神社があり、その境内に道長が参朝のおりに顔を写したとされる「鏡の井」がある。




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道真公を祀る天満宮といえば、梅が有名である。

「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

と大宰府に赴く際に詠んだ歌に因み、境内には梅の木が植えられる。その梅の花が紅梅同時に咲いていたのを見ることが出来た。今週は3月末から4月上旬の暖かさというから、梅の花も一度に満開となるだろう。




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天満宮の北側は、西高瀬川が流れており、その川に架かる橋を渡り吉祥院天満宮へと参拝することになる。



                    参照:【吉祥院天満宮の駒札】より
                    参照:【菅公胞衣塚の駒札】より