方広寺の鐘を見て東大路通の『馬町』から、100・202・206系統に乗り『東山三条』で降り、三条通を東に7分ほど歩き、小さい路地を南に入ると【粟田神社】である。(京都市東山区粟田口鍛冶町)

粟田神社には『神宮道』で降りるのか近いのだが、豊国神社を参拝の後では、直接このバス停を通るバスに乗ることが出来ないので、『東山三条』で降りることになる。
         (ちなみに、今回の写真は2007年4月2日に撮したものである)



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京の七つある出入口のひとつ、東にあるのが粟田口である。三条大橋から山科を抜けて滋賀の大津へと続く出入口である。

もとは、この粟田郷の氏神さまであったのが、粟田神社である。粟田口に鎮座していたことから、古来、東海道・東山道を行き来する人々が、旅の安全を祈願し、旅の無事を感謝して参詣したことから「旅立ち守護・厄除」の神として信仰が厚い。

ちなみに、牛若丸が奥州に旅立つ時も、この神社に旅の安全を祈り参拝したと云う。
                   (鳥居の前の道が旧東海道・東山道である)



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粟田神社は、旧粟田口村の産土神であり、江戸時代までは感神院新宮(かんじいんしんぐう)、あるいは牛頭天王を祭ることから、粟田天王社または粟田八大王子社とも呼ばれていたが、現在は素戔嗚尊と大己貴命を祭神としている。

平安時代の貞観18年(876)に、従五位上出羽守藤原興世が清和天皇の勅許を奉じて勧請したことに始まり、その後、天台座主東陽坊忠尋大僧正が、永久年間(1113~18)に再建するが、応仁の乱で焼失し、明応9年(1500)に吉田兼倶が再興したと云う。

本殿、拝殿は江戸時代後期の文政6年(1823)の再建だと云われる。

                 出展:【粟田神社・三棟(本殿・幣殿・拝殿)の駒札】より



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社殿に参拝した後、ふと振り返えってみると、平安神宮の赤い大鳥居が目に入った。前にも何処からか、この赤い鳥居が見えたのだが、今日は、桜の花越しに平安神宮の赤い鳥居を見ることが出来た。

そういえば、蹴上の「インクライン」の上からこの赤い鳥居が見えたのだが、このエリアだと少し高い所に登ると、平安神宮の鳥居が見えるのだということが分かった。
                                  (2007.4.2記)




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参拝を終え石段を降りると、外国の人を乗せた人力車に出会った。こんな処まで案内をするなんて、流石に人力車ならではの観光だと思った。

との感想が記されていたが、この桜の時季にこんなに人がいない所も少ないであろう。少し先には、インクライの桜並木があり、元に戻れば、青連院や知恩院の桜となるのだが、ここは落ち着いて桜の花を愛でることが出来る場所である。

      (ここを訪ねてから早、3年が過ぎている、月日の流れは早いものである)