鹿ケ谷通の「新島襄先生墓地登り口」の石碑から東に200mほど歩くと、疎水分水に架かる、若王子橋がある。



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この若王寺子橋を渡ると「熊野若王子神社」がある。

そして、ここから疎水に沿って北の銀閣寺までの(疎水は今出川通へと北流する)1.8Kmを哲学の道といい、ここからその道が始まる。



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クリックで大きくなります 神社の入口には、樹齢400年とも云われる、梛(なぎ)の木がある。古来、紀州熊野三山詣でや伊勢参宮などの折に、禊の木として用いられたという。

その横にある石橋は、明暦2年(1656)7月に吉良家より寄進されたものである。



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また境内には宝形が残っているが、その昔、宝形造りの地仏堂があり、その上の部分が残っているもので、

地仏堂には薬師如来坐像が安置されていたが、明治4年(1871)の神仏分離の際に移され、現在は国宝として奈良国立博物館に所蔵されている。

                             出展:【宝形そばの駒札】より



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正面、石の鳥居を入ると「恵比須殿」がある。祭神として、木造寄木造等身大坐像の、恵比須神像が祀られている。



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若王子神社は、永暦元年(1160)後白河法皇が熊野権現を勧請し建立された、正東山若王子の鎮守社であり、社名は天照大神の別称、 若一王子に因んでこのように名付けられた。

室町幕府の信仰を集めると共に花見の名所としても知られ、 寛正六年(1465)3月には足利義正により花見の宴が催されたりもした。

応仁の乱により荒廃したが、 豊臣秀吉により再興され社殿及び境内が整備された。

その後、明治初年の神仏分離によって当社のみが残り、現在の社殿は昭和54四年(1979)一社相殿に改築されたもので、以前は本宮・新宮・那智・若宮の四棟からなっていた。

こじんまりとした神社ではあるが、「熊野神社」「新熊野神社」とあわせ、京都三熊野のひとつとして良く知られている。


また本殿に至る手前の石橋の高欄は、元は若王子橋の高欄として、大正9年(1920)より使用されていたものを、橋の改修とともに、その役目を終えこの場所に移された。


                             参照:【神社境内の駒札】より


「京都十六社朱印めぐり」をしている人だろうか、社務所で次に詣でる神社への行く方法を訪ねていた。