東天王町のバス停から鹿ケ谷通に出て少し南に下がると、後水尾天皇勅願所「光雲寺」と刻まれた石碑に出会い、そのまた南に、同志社を創立した、「新島襄先生墓地登り口」と刻まれた、新島襄の墓地への案内の石碑が建っている。



クリックで大きくなります この石碑から今回の哲学の道を巡る、ぶらり歩きが始まるのだが、ここから東に道をとり、まずは熊野若王子神社へと向かう。




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疎水に架かる若王子橋を渡り、若王子神社の手前にあるのがこの石碑。「同志社創立者・新島襄先生墓所参道」と刻まれた、墓地への道標である。



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そこからさらに若王子神社の横を通り若王子山へと向かうと、このような柵に行き当たる。

同志社共同墓地にある新島襄の墓はまだこの先であるが、その横のお願いの文を見て、この先に行くのを躊躇した。あげく、ここからもと来た道に引き返すことにした。



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クリックで大きくなります 話が変り、場所も飛ぶのだが、京都御所の東側、寺町通にあるのが、新島襄が明治11年(1878)から妻の八重と共に住み、新島襄が亡くなった後も八重が永眠する昭和7年(1933)までここに住んでいた。

現在は、

*3月~7月と9月~11月の水・土・日曜日
*御所の一般公開日
*同志社創立記念日の11月29日

に一般公開されており、入場無料なので是非訪ねてみてください。