『山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄』 |
と、菊舎尼の詠んだ句碑が建つ。 |
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総門から三門に向かう途中、三門の横にあるのが、寛政2年(1790)3月に、三十八才の菊舎女が始めて萬福寺を訪れた折に、 |
白壁土塀の続く黄檗山の中国明風のたたずまいに酔いしれて、境内から一歩三門を出ると、門前の茶畑から茶摘み唄が聞こえ、ここは日本であったことを思い起こさせたという、 |
『山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄』 |
の句碑が建っている。 |
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一字庵田上菊舎(たがみきくしゃ)は、宝暦3年(1753)長門国田耕(たすき)村(現下関市豊北町田耕)に生まれる。 |
16才で村田利之助と結婚するが、24才寡婦となり再婚の道を選ばず、俳諧の道をこころざし、芭蕉を慕い出家して諸国行脚に明け暮れ、一世を風靡した江戸後期の女流俳人である。 |
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