嵯峨鳥居本は、嵯峨野の西北、愛宕山の麓に位置し、愛宕街道沿いに八体地蔵の並ぶ三叉路から、愛宕神社一之鳥居にかけての長さ650mの通りである。

古くは化野と呼ばれ、葬送の地であったが、現在の町並みは愛宕神社の門煎町として発展をしたものである。



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八体地蔵のある三叉路を西北に歩くとすぐに、瓦葺の虫小窓や京格子のある町家風の民家が並ぶ、下地区となる。



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下地区は都市的景観(町家風)が続き……



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緩やかな登りとなって、化野念仏寺を越え、将軍地蔵大菩薩のある辺りまで、町家風の民家が続いている。



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地蔵菩薩は、お釈迦さまの没後、弥勒菩薩が出現するまでの仏が居ない間、六道で苦しむ衆生を救う菩薩であり、日本では平安時代から信仰されるようになった。

六道輪廻を救うところから六地蔵の信仰が生まれ、また、子供を守り、幼くして亡くなって、賽(さい)の河原で苦しむ子供を救うと信じられている。

この鳥居本にある「将軍地蔵大菩薩」は、もともとここが葬送の地であったことから、他界への旅立ちの場である葬送の地に多く建てられた六地蔵の信仰と、

道祖神の信仰とが結びつき、町の守護神として建てられたと云われる。また道祖神のことをシャグジともいい、シャグジに将軍の字を当て、道祖神と合わさった地蔵を将軍地蔵と呼ぶようになったと云われる。



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地蔵菩薩の前に鳥居本の歴史を伝える「鳥居本町並み保存館」がある。明治時代に建てられた民家を整備し、古きよき京都が無料で見学出来るようになっている。

月曜日が休館日であり、残念ながらこの日は開いていなかった。



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将軍地蔵大菩薩をすぎ、愛宕神社一之鳥居までの上地区には、藁葺きの農家風の家が多くなる。

この建物は、平野屋次郎坊で、愛宕街道に面した平野屋の居宅を、鞍馬街道の「二軒茶屋」を解体し、その古材で改築されたものである。



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これは平野屋仏翁庵。

平野屋さんは約400年前の時代から、愛宕神社一之鳥居の茶屋として営まれている。



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農家風の藁葺き屋根の家。上地区は農村的景観(農家風)を残す地区であり、下地区の都市的景観(町家風)とが共存し、奥嵯峨の美しい自然に溶け込んで趣きのある佇まいとなっている。



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そうこうしているうちに、愛宕神社一之鳥居の朱が見えてくる。