角倉了以の銅像からさらに登ると、三人の天皇を火葬にした場所がある。 |
三人の天皇は何れも鎌倉時代に擁立された天皇で、 |
鎌倉時代初期、第88代・後嵯峨天皇 |
在位は、仁治3年(1242)から寛元4年(1246)で、天龍寺の中にある「嵯峨南陵」に葬られる。 |
後嵯峨天皇の第二子で、鎌倉時代中期、第90代・亀山天皇 |
在位は、正元元年(1259)から文永11年(1274)で、天龍寺内の「亀山陵」に葬られる。 |
亀山上皇、後宇多天皇親子の時に2回の元寇が起こる。 |
(元寇(げんこう)とは、鎌倉時代中期に、中国大陸を支配していたモンゴル帝国(元)によって2度にわたり行われた日本侵攻を云う。1度目を文永の役(1274年)、2度目を弘安の役(1281年)という。) |
その時に伊勢神宮に国難を救う祈願を行なったと云われている。 |
鎌倉時代末期、第93代・後伏見天皇 |
在位は、永仁6年(1298)から正安3年(1301)で、伏見区深草の「深草北陵」に葬られる。 |
この三人の天皇が、この嵯峨の地にて荼毘にふされた。この地は宮内庁の管理になるもので、立ち入ることは出来ない。 |
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