渡月橋の北詰には、小督の悲哀を偲ぶ「琴きき橋跡」の碑が建っている。



クリックで大きくなります 琴きき橋は、高倉天皇の寵愛を一身に受ける小督を、平清盛が宮中から追い払い、嵯峨野に隠れ住んだ小督を源仲国が探しに嵯峨野を訪ね、大櫃川のほとりに来た時に、小督の爪弾く琴の音にこの橋で、しばし駒を止めて聴いたとされる橋である。



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平家物語巻六の三小督の事の段に、

『亀山の辺り近く、松の一群ある方に、かすかに琴ぞ聞こえける。峯の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か、覚束なくは思えども、駒を早めて行く程に、片折戸したる内に、琴をぞ弾き澄まされたる

控えてこれを聞きければ、少しも紛うべきもなく、小督の殿の爪音なり。楽は何とぞ聞きければ、夫を想うて恋とよむ相夫恋という楽なりけり。』

と源仲国が嵯峨野に小督の弾く琴の音を頼りに、その庵を訪ねた事が書かれている。

そのときに小督の弾く琴の音に駒を止めて聴いたというのが「琴きき橋」で、車折神社嵐山頓宮の前に琴きき橋の遺跡がある。

明治13年(1880)改築の銘も見られ、往時のゆかしい物語に思いを寄せた人々の想いを秘めつつ、ここに保存されている。



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小督は平安時代末期、中納言藤原成範の娘で、高倉天皇の後宮となった類稀な美貌の持主で琴の名手であった。

清盛に一度は追われるが、源仲国により探し出され、こっそりと宮中に戻るが清盛の知るところとなり、小督は出家させられてしまう。

その晩年は定かではなく、元久2年(1205)藤原定家が嵯峨野に小督を見舞ったのちは、その後の消息はわからない。

能の小督は、嵯峨野の場面を扱ったもので、美しくも悲しい名作である。