油小路通高辻で左に曲がり、高辻通を東に、道元禅師示寂地を拝し、西洞院高辻にあるのが「菅大臣神社」である。



 クリックで大きくなります

クリックで大きくなります この神社は菅原道真公を祀る神社で、もともと菅原家の邸宅があった場所である。道真公誕生の地とも云われ産湯の井戸があるというが……

前にも道真公が産湯に使った井戸があるという、京都御苑の西にある「菅原院天満宮神社」があったのを思い出した。

菅原道真の誕生については諸説あり、生まれた場所も、菅大臣神社(下京区)や菅原院天満宮神社(上京区)、吉祥院天満宮(南区)また奈良の善光寺(奈良市菅原町)などがあり、この場所も菅公生誕の地とされているのだが、どの地が真実なのか興味深いところである。



 クリックで大きくなります

クリックで大きくなります 『この地は、菅原家の紅梅殿、白梅殿というお邸や、菅家廊下と称する学問所の跡で、仏光寺通を中心にして南北二町、東西一町の広さがあったと云う。

神社は、道真公没後、間もなく創立されたが、度々兵火にかかり、鎌倉時代には、南北に分かれ、こちらを「天神御所・白梅殿社」、北社を「紅梅殿社」と呼んでいた。

応仁の乱後の慶長19年(1614)に菅家ゆかりの曼殊院宮良恕法親王により再興され今日に至る。

この間、天明の大火、元治の兵乱で焼失するが、現本殿は、天保6年(1835)造立の三間社流造という、下鴨神社の旧殿を明治2年(1869)に移築し、その後、幣殿を建立して、いわゆる八棟造をなしている。』

                        出展:【菅大臣神社の駒札】より



 クリックで大きくなります

クリックで大きくなります 菅家邸の紅梅殿があった跡に建てられた社である、菅大臣神社の北側、仏光寺通から少し奥まった処に鎮座する。

道真公が九州大宰府へ左遷に当たり

『東風吹かば にほいおこせよ 梅の花
          主なくとて 春なわすれそ』

と詠んだのはこの地であったと云われている。この小さな社もまた、道真公の怨念を鎮めるために造られたのであろうか。歴史のロマンを感じさせる、小さな社である。