秦家住宅から油小路をさらに南へ向かい、高辻通に出て左折し、200mほどの処に、曹洞宗開祖道元禅師示寂地がある。 |
『この地は、曹洞宗の開祖道元禅師が生涯を閉じたところである。 |
道元禅師は、正治2年(1200)に京都で生まれ、比叡山で出家の後、建仁寺の栄西の門に入って禅を学び、貞応2年(1223)に中国の宋に渡る。 |
帰国後、建仁寺に足をとどめたが、その後、深草に興聖寺(後に宇治に移る)を建て、教化活動を続けた。 |
晩年に至って、権勢を逃れ、越前(福井県)の地に永平寺を創建し、釈迦正伝の仏法である座禅の厳格な宗風を樹立した。 |
建長5年(1253)病療養のために弟子懐弉を従えて上洛し、この地(下京区高辻通西洞院西入ル)にあった俗弟子寛念の屋敷に滞在し、同年8月に54才の生涯を閉じた。』 |
出展:【道元禅師示寂の地の駒札】より |
道元禅師は鎌倉時代の禅僧で、源頼朝の没した翌年に京の町で生まれている。その出生には不明な部分が多いと云われるが、貴族の出であることは間違いないようである。 |
宋に渡り、曹洞宗の印可を受け、日本における曹洞宗の開祖となり、「南無釈迦牟尼仏」として釈迦を本尊と仰ぎ、「即心是仏」の心をもって、坐禅により奥義を深めようとする。 |
道元禅師は「正法眼蔵」という仏教全般についてを顕した教義を著している。 |
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