藤堂藩の藩邸跡を過ぎ、堀川四条から北に二つ目の筋である、蛸薬師通を東に入ると「空也堂」と呼ばれる小さなお寺がある。 |
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『空也を本尊とするため空也堂と呼ばれるが、正しくは「紫雲山光勝寺極楽院」と号する、天台宗のお寺である。 |
天慶2年(939)空也上人の開創といわれ、当初は三条櫛笥にあったので、櫛笥道場とも市中道場とも呼ばれた。 |
応仁の乱で焼亡したが寛永年間に、現在地に再建をされた。』 |
出展:【空也堂の駒札】より |
空也は平安時代中期の僧で天台宗の始祖である。一説に、父は醍醐天皇であったとも云われいるが、真偽の程は定かではない。 |
鐘を叩き「南無阿弥陀仏」の念仏を唱え全国を行脚し、仏教の布教に尽力しながら、橋を架け、道路や井戸を整備するなどの社会事業も行なった。 |
そのために、阿弥陀聖とか市聖(いちのひじり)と称されるようになる。 |
空也上人の彫像で最も有名なものが、六波羅蜜寺にある、胸に金鼓を、右手に撞木を持ち、左手に鹿の杖をつき、足に草鞋を履き、南無阿弥陀仏と唱える口から六体の仏像が現れる、という姿をした立像である。 |
この像は教科書にもよく取り上げられているので、実物を見たことがない人でも馴染み深い像だと思う。 |
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