河合神社の境内には、数々の末社があり、夫々が重要文化財申請の社殿である。


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三井社(みついしゃ)

別名を三塚社とも云い、

中社『賀茂建角身命』(かもたけつぬみのみこと)
西社『伊賀古夜日賣命』(いがこやひめのみこと)
東社『玉依媛賣命』(たまよりひめのみこと)

の三神を祀る。

古い時代の下鴨神社は、古代山代国愛宕(おたぎ)葛野郷(かづぬどう)を領有していた。その里には、下鴨神社の分霊社が祀られていた。

この社は、鴨社蓼倉郷(たてくらごう)の総(祖)社として祀られていた神社である。摂社三井神社「風土記」山城国逸文「鴨社」の条の「蓼倉里三身社」とは別の社である。


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貴布禰神社(きふねじんじゃ)

御祭神は高おか神で、応保元年(1161)収録の「初殿屋舎等之事」に、河合神社の御垣内に祀られていたことが収載されている神社で、水の神として有名である。


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任部社(とうべのやしろ)

古名を専女社(とうめのやしろ)、御祭神は「八咫烏命」(やたがらすのみこと)で、河合神社創祀のときより祀られている社である。

古名「専女」とは、稲女とも書き食物を司る神々が祀られていたことを示している。のちに「百練抄」安元元年(1157)10月26日の条にある「小烏社」と合祀された。

昭和6年(1931)御祭神の八咫烏命が日本の国土を開拓された神の象徴として、日本サッカー協会のシンボルマークとなって以来、サッカー必勝の守護神として有名である。


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六社(むつのやしろ)

御祭神は、北方より

諏訪社『建御方神』(たけみなかたのかみ)
衢(みち)社『八衢毘古神』(やちまたひこのかみ)
      『八衢比賣神』(やちまたひめのかみ)
稲荷社『宇迦之御魂神』(うかのみたまのかみ)
竈(かまど)社『奥津日子神』(おくつひこのかみ)
       『奥津比賣神』(おくつひめのかみ)
印社『霊璽』(れいじ)
由木社『少彦名神』(すくなひこなのかみ)

建仁元年(1201)12月10日式年遷宮のために描かれたとみられる「鴨社古圚」によると、河合神社の御垣内にそれぞれ別々に祀られていた。

江戸時代の式年遷宮のとき各社が一棟となった。いずれも衣食住の守護神である。


                出展:それぞれは【重要文化財申請社殿 各社の駒札】より