鬱蒼と木々が繁る「糺の森」の由来は

下鴨神社の祭神、賀茂建角身命が、この森で人々の訴えを聞き正邪を裁いたと云われ、これから「糺す」という名が付いたとも、

また、秦氏と賀茂氏とのつながりから、蚕の社にある元糺の池に因んだとも云われている。

その「糺の森」で最初に出会うのが『河合神社』である。


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河合神社の祭神は、神武天皇の御母神である「玉依姫命」である。

神武天皇とともに御母神として、日本建国に貢献された内助の御功績は、日本婦人の鑑とも仰がれており、

安産・育児・縁結び・学業・延命長寿の守り神として広く知られている。


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鎮座の年代は不詳であるが、神武天皇の御代から余り遠くない時代と伝えられている。

「延喜式」に「鴨河合坐小社宅神社」とある。「鴨河合」とは、古代からこの神社の鎮座地を云い、「小社宅」(こそべ)は「日本書紀」に「社戸」と訓まれ、

それは本宮の祭神と同系流の神々との意である。延喜元年(901)12月28日の官府には、「河合社、是御祖、別雷両神の苗裔神也」ともある。

明治10年(1887)に賀茂御祖神社第一摂社に列せられる。

社殿は、本宮の21年目ごとに行われた式年遷宮の度ごとに、この神社もすべての社殿が造替されていたが、

現在の社殿は延宝7年度(1679)式年遷宮により造替された古殿を修理建造したもので、平安時代の書院造りの形式をよくとどめている。


                            出展:【河合神社 由緒の駒札】より