東福寺の境内を日下門から出て中大門に至るまでの参道に、東福寺の塔頭である『天得院』と『芬陀院』がある。


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東福寺の塔頭のひとつ、万松山天得院は、

『南北朝時代の正平年間(1346~1370)東福寺三十世住持無夢一清禅師によって開山された。その後、荒廃したが、大機慧雄禅師により再興され、慶長19年(1614)文英清韓長老が住持となった。

清韓は、豊臣秀吉、秀頼の学僧として寵遇され、秀頼の請に応じ方広寺の鐘名を撰文したが、「国家安康、君臣豊楽」の文字が、徳川の名を分断し豊臣家の繁栄を願うものとして、徳川家康の怒りを招き、寺は取り毀されたと云われている。

現在の堂宇は、天明9年(1789)に再建されたもので、明治元年(1868)には、山内の塔頭本成寺を合併して今日に至っている。

庭園は、美しい苔に覆われた枯山水庭園で、桃山時代の作庭と伝えられている。また、境内には、歌人の荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の句碑が建っている。』

                               出展:【天得院 由緒の駒札】より

また天得院は桔梗の寺としても知られており、今日の京都新聞の夕刊に

『京都市東山区の東福寺塔頭・天得院で、300本の桔梗が咲き始めた。紫や白のかれんな花が、こけむした庭に彩りを添えている。

枯れ山水の庭園には、緑の濃さを増したスギゴケが一面に広がり、一重や八重の桔梗の株が所々から顔をのぞかせている。

庭園の特別拝観(300円)は7月17日までで、夜間は午後9時(受け付け8時半終了)までライトアップしている。』

                       出展:【京都新聞 天得院でキキョウ開花】より


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芬陀院は、元享年間(1321~1324)に時の関白一條経通公が、東福寺の開山、聖一国師の法孫にあたる定山祖禅和尚を開山に迎え創立した。

水墨画で有名な雪舟等楊禅師が、東福寺に参るときは必ずこの寺院に身を寄せ庭を作ったことから、雪舟寺とも呼ばれている。

建物は、元禄4年(1691)と宝暦年間(1751~1763)の二度にわたり火災に遭ったが、桃園天皇の中宮恭礼門院の御殿の一棟を賜って移築し、

明治32年(1899)には、昭憲皇太后から御内帑金を下賜されて改築をしたものである。

                          出展:【芬陀院(雪舟寺) 由緒の駒札】より