東福寺庫裏の前を東に入り、少し奥まった所にあるのが『偃月橋』、その橋を渡ると『龍吟庵』と『即宗院』がある。 |
偃月橋(えんげつきょう)は、本坊より塔頭、龍吟庵と即宗院に至る洗玉澗の峡谷に架かる木造橋廊で、長さ十一間(20m)、幅一間(1.8m)で、単層切妻造の桟瓦葺屋根である。 |
下流の通天橋・臥雲両橋とともに東福寺三名橋と呼ばれているのだが、この偃月橋のみが重要文化財に指定されている。 |
本坊庫裏の背後、偃月橋を渡ったところの山裾の平坦地に位置する塔頭『龍吟庵』は、通常非公開の塔頭で、そのうえ今は工事中でもあり偃月橋は渡ることが出来なかった。 |
龍吟庵は、東福寺三世・南禅寺の開祖でもある「無関普門(大明国師)」の住居あとで、 |
方丈は、室町時代の嘉慶元年(1387)に、庫裏が室町時代の慶長8年(1603)、表門が桃山時代に造られ、方丈は書院造に寝殿造風の名残をとどめた、現存最古の方丈建築であり、国宝に指定されている。 |
また「龍吟庵」の隣には「即宗院」がある。 |
即宗院は、島津氏久の菩提を弔う為に、東福寺の一角に建てられた、島津家の菩提寺である。 |
西郷隆盛が勤皇の僧、月照とともに、今はない採薪亭の茶室にて倒幕の密議をこらした処でもある。 |
月照は西郷と親交が深く、島津斉彬が亡くなった時に、殉死しようとした西郷を止まらせた。 |
安政の大獄で追われる身となり、西郷とい一緒に薩摩に逃れるが受入れられず、西郷と共に錦江湾に入水し亡くなってしまう。 |
くしくも西郷は一命を取り止めて、後の倒幕へと進んでいく。その月照が西郷と共に過ごしたのが、この即宗院である。 |
月照の時世に、 |
「大君の ためにはなにか 惜しからむ |
薩摩の瀬戸に 身は沈むとも」 |
とある。 |
参照:【東福寺webページ 境内案内】より |
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