禅堂の北側にある『経蔵』旧い雰囲気を残す瀟洒な建物である。 |
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開山の円爾弁円(聖一国師)は、仁治2年(1241)宋から帰朝の際一千余の典籍を持ち帰り、我が国文教の興隆に多大な貢献をなした。 |
それらの経典が納められていたという『経蔵』である。江戸時代寛政5年(1793)の再建になる。 |
円爾上人は晩年、故郷の駿河国に戻り、禅宗の流布を行うとともに、宗から持ち帰った茶の実を植え茶の栽培を広めたことから、静岡茶の祖とも呼ばれている。 |
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東福寺殿鐘楼と称し、経蔵の前に位置する西の鐘楼である。 |
こじんまりとした建物は室町後期のものといい、銅鐘(重文)は鐘身1.4m、口縁外径1m、厚さ8.5cmの大鐘で、蓮華門の撞座のすぐれた点より平安初期を下らざる鋳造とみられている。 |
参照:【東福寺webページ 境内案内】より |
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