洗玉澗の渓流に架かる「臥雲橋」を渡ると、東福寺はもうすぐである。 |
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臥雲橋を渡ると左手に東福寺の諸道が見えてきて、少し歩くと『日下門』がある。 |
東福寺の境内には、この門より入る。先の「月華門(月下門)」が洗玉澗の南側の開運堂に続く門であるのに対し、この「月下門」は北側の本堂へと続く門である。 |
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恵日山東福寺と称し、臨済宗東福寺派の総本山である。 |
九条道家が嘉禎2年(1236)に、九条家の氏寺とする為、奈良東大寺と興福寺から一字を取り『東福寺』と名付け、禅僧円爾弁円(聖一国師)を開山に招き、建長7年(1256)に落成する。 |
その後、焼失するも室町初期に再建され、禅宗の一大道場として京都五山の一つに列せられ、兵火を受けることなく明治に至った。 |
残念ながら、明治14年(1881)に仏殿、法堂などが火災にあったが、なお三門、東司、禅堂、浴室、月華門などの古建築が残り、中世禅宗の寺観を保っている。 |
参照:【東福寺 由緒の駒札】より |
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現在の本堂は、仏殿と法堂とを兼ね、明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、昭和9年(1934年)に再建された。 |
入母屋造、裳階(もこし)付きの建物で、。高さ25.5m、間口41.4mの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大のものと云われる。知恩院の三門や南禅寺の三門などと比べても見劣りがしない立派なものである。 |
天井の竜の絵は、堂本印象の筆になる。本尊釈迦三尊像(本尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)は、明治14年の火災後に万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作である。 |
参照:【Wikipedia東福寺 伽藍・本堂の解説】より |
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