仁王門の右斜めには、臨済宗東福寺の塔頭寺院である『退耕庵』がある。


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貞和2年(1346)東福寺第43世住持、性海霊見により創建された。

その後、応仁の乱の災火により一時荒廃したが、慶長4年(1599)安国寺恵瓊によって再興された。

なお慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いでは、東福寺に長州藩の陣が置かれていたことから、退耕庵には「戊辰役殉難士菩提所」となっている。


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客殿は再興時に恵瓊によって建てられたもので、忍び天井と兵を待機させる、伏侍の間がある茶室「昨夢軒」で、当時の住職恵瓊と石田三成、宇喜田秀家らが関ケ原の戦いの密議を行ったと伝えられる。

徳川に対して謀議を行ったことから、江戸時代は荒廃したが、大政奉還後の明治になって復興された。


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退耕庵には小野小町にゆかりが深く、小町が作ったといわれる「玉章(たまずさ)地蔵」や
(地蔵堂に安置する高さ2mの地蔵菩薩像で、胎内に小野小町に寄せられた恋文を納めている)

また、これも小町自身の作といわれる「小町百歳の像」がある。


                              参照:【退耕庵 由緒の駒札】より