清水寺も奥の院を過ぎ、音羽の滝へと向かう途中にこんなものに出会った。 |
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『この石像は、傳福禄寿と云われ清水寺縁起によれば、奈良時代宝亀9年(778)音羽の滝一帯を中心として修行中の行叡居士より、 |
大和の子島寺僧延鎮上人が霊水を嘱され、観音像を奉納し祀ったことにより当山の草創がある。 |
この石像はその頃、修行中の行叡居士のお姿として伝えられ、当時の仏教修行者は道教の熟達であったことが十分想像される数少ない資料の一つである。 |
しかし後世では、宝冠に似た頭布と広袖の衣、長髪の顎ひげをたらし右手に持つ錫杖、左手の経巻などの形から、七福神の一人、福禄寿として信仰を集め祀られてきた。 |
出展:【傳福禄寿の駒札】より |
福禄寿は七福神の一人で、道教で求められる三つの願い、「幸福」「封禄」「長寿」の三徳を具現化したものである。 |
福禄寿の姿は、鶴・鹿・桃を伴うことで、福・禄・寿を表す三体一組の神像や、コウモリ・鶴・松によって福・禄・寿を具現化した一幅の絵などがある。 |
その体躯は、背が低く、長頭で長い髭をはやし、杖に経巻を結び、鶴を伴った姿が多く表されている。 |
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