清水寺の鎮守で、大己貴命(おおむちのみこと)を主神とし、縁結びの神として参詣者が多い「地主神社」


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『地主神社は、清水八坂一帯の産土神で元は地主権現と呼ばれ、明治になって現在の名に改められた。

祭神として大国主命とその父母神、素戔嗚尊・櫛名田姫ら五柱を祀る。

創建は奈良時代以前であり、平安遷都と共に皇室をはじめ広く信仰を集めた。現在の社殿は、寛永年間(1624~1644)の徳川家光による再建である。』

                              出展:【地主神社 由緒の駒札】より


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クリックで大きくなります また縁結びの神として広く崇敬を集めていて、境内には「恋占いの石(Love Stone)」があり、修学旅行の生徒達が目を閉じて、恋占いをやっていた。

『恋占いの石は、本殿前の左右にある守護石で、想う人の名を念じ両目を閉じて反対側の石にたどり着けば、恋の願いが叶うというものである。

一度で出来れば願いも早く叶い、出来なければ願いが叶うのが遅くなるという。また他人のアドバイスを受けると、願いを叶えるのに人の助けが必要になると云われている。』

                                参照:【恋占いの石の駒札】より

左右10mほど離れた二つの石の間を、目を閉じて真っ直ぐに歩くことは難しく、

一人でやると反対側の石に触れることは出来ず、殆んどの人がスイカワリの要領で、アドバイスを受けながら反対側の石に辿り着いていた。


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また地主神社は古くから桜の名所であり、謡曲の中に地主権現の桜として詠われているのが、地主桜のことである。

『謡曲「田村」では、東国の僧が清水寺に詣で地主の桜を賞でると、

地主権現の花守が僧賢心が坂上田村麿を檀那として清水寺を建てた由緒を語り、

僧の読経に田村麿が現れ、東夷平定は観音の仏力だと称えたというお話』と……

『「熊野」では、平宗盛の愛妾、熊野が清水寺の音羽の山桜や地主の桜の花見の供をし、故郷の母の病を案ずる歌を詠み、

心打たれた宗盛が熊野の帰郷を許すというお話である。』

いずれの謡曲にもこの地主の桜が盛り込まれており、その昔からここの桜は世に知られていたのである。

                            出展:【謡曲の中の地主の桜 駒札】より