安井金刀比羅宮から東大路通を超えて清水寺へと向うのだが、そこに至る道は様々である。


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一般的には二年坂、三年坂と登って行くのだが、今回は、八坂の塔に逢ってから二年坂を横に見て、三年坂を登り清水さんへと向った。

「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜
      こよい逢ふひと みなうつくしき」

という、与謝野晶子の歌を思い出し、坂道を登る。


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『霊応山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。

寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより建立し、往時は延喜式七ケ寺の一つに数えられ隆盛を極めたが、現在は五重の八坂の塔と太子堂、薬師堂のニ宇を残すのみである。

八坂の塔は本瓦葺き五層、方6メートル、高さ46メートルの純然たる和様建築で、白鳳時代の建築様式を今に伝えるものである。

創建以来、度々災火により焼失したが、その都度再建され、現在の塔は永享12年(1440)に足利義教によてt再興されたものである。』

                             出展:【法観寺・八坂の塔の駒札】より

元和4年(1618)に大修理が加えられ、東寺の五重塔とともに、京を飾る京都らしい建物である。


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八坂の塔から三年坂に続く坂道の途中に、文の助茶屋がある。

『文の助茶屋は、秀吉の守本尊三面大黒天の茶所にて明治末期、人情ばなしの落語家曽呂利新左衛門の門弟二代目桂文之助が、境内に長年愛用した扇子を納めた扇塚を建てたのがゆえんで甘酒茶屋を始め、高座引退後風流三昧にその晩年を送った。

其後甘酒茶屋も人呼びで「文の助茶屋」となり、東山界隈を散策する旅人で賑わった。故人の申し伝えにより、今も「甘酒」と「京に田舎有り、粋様参る無粋な店」をと守っている。』

                       出展:【京甘味 文の助茶屋 HPの由緒】より

東山の地で甘味処といえば、その一つに入る、文の助茶屋。創立の場所より移転をし、現在の八坂の塔の東に本店を構えるが、今も昔の京の甘味を伝えている。


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その「文の助茶屋」を東南北に500mほど歩くと三年坂となる。

この道から清水寺へ詣でる人は比較的少ないが、三年坂が近づくにつれ、段々と人が多くなってくるのである。